10年前の東日本大震災について

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減塩をがんばっている皆さん、こんにちは!

今日は東日本大震災から10年目の日です。

このブログは減塩関係の内容がメインですが、今回は震災の思い出などについて書いてみようと思います。

10年前

私は出版関係で編集の仕事をしています。本をつくるために企画を出したり、原稿を書いたり、制作スケジュールを管理することなどが主な業務です。

震災が起きた日は旅行記事の取材で出張していました。場所は静岡県。震度の高かった地域からは少々離れていたといえます。

震災前日の富士山
震災前日の富士山。まさかこの翌日に大地震が起こるとは夢にも思いませんでした。

地震の起きた時間は風が強く吹いていました。なんとなく揺れた気がしましたが、風のせいかなと。取材先の人たちは気づいていない様子だったので、あまり深く考えなかったのです。

ところが…。

宿まで車で送ってもらう際、ラジオをつけると大変なことになっているではありませんか。

ホテルでテレビをつけると、地震の報道でいっぱいです。

震災の日のテレビ報道

地震による被害は建物の崩落などかな?と思っていたら、東日本沿岸を襲う大津波(後日、福島の原子力発電所の事故もありました)があり、まったく自分のイメージを超えてしまっていました。

翌日も取材があったのですが、地震の影響で電車は復旧しそうな気配がありません。

どうしようか考えていたところ、駅前のレンタサイクルは営業中。活用して移動しました。

取材をすべて終え、あとは東京へ帰るのみ。でも、在来線はまだストップしたままです。新幹線の停車する駅までの交通手段がありません。

仕方ないので運行再開されるまで借りたレンタサイクルで駅前周辺を走りまわり、時間が経つのを待ちました。

午後2時か3時頃、運行開始のアナウンスがあったので在来線に乗車。新幹線の駅まで移動することに。

震災時の在来線
運行再開時の東海道線。レールが地震で歪んでいないか目視しながらの徐行運転でした。

無事帰京し、家族と再会できたときは心底ホッとしたのを思い出します。

その後

この日以降、震災関連の取材で東北や関東の太平洋沿岸を訪れることが多くなります。

下の画像は茨城に行ったときのものです。港の岸壁が広範囲に破壊されていますね…。

言葉が出ませんでした。

震災で被害を受けた港1
震災で被害を受けた港2

この未曾有の大災害で犠牲になられた方々に、改めて心からお悔やみを申し上げます。

現在も震災のダメージを負いながら一生懸命生活している方々にエールを送りたいです。

応援する男の子

個人的な話になりますが、自分は大病しながらも、なんとか生きることができました。

減塩生活をがんばることはもちろん、健康を維持する努力をこれからも続けたいと思います。

東日本大震災から10年目の2021年3月11日

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